2007年 03月 10日
信長の棺 |
織田信長は本能寺で明智光秀に討たれたが、その遺骸も遺骨もいまだ発見されておらず、謎に包まれている。天下統一を目指すほどの人間が死んだというのに、なぜ?というのが歴史ミステリーたる本書の根幹をなす。
信長の遺骸はなぜ消えたのか? なぜ無防備な本能寺に泊まったのか? 明智光秀はなぜ謀反を起こしたのか? 信長の死後、秀吉はなぜあれほど早く毛利と和睦できたのか? 山陽道を取って返せたのか(中国大返し)? なぜ信長の遺骨がないことを隠して3万もの護衛の下で葬儀を強行したのか?
物語の主人公は、信長に仕えた太田牛一という右筆(文筆の武士)。信長は本能寺に発つ前、牛一に謎の木箱を5つ預ける。牛一は、信長の死後、木箱を守りつつ、信長に仕えていたあいだの克明な日誌をもとに信長の生涯を書物にまとめようと考える(太田牛一『信長公記』人物往来社として刊行されている)。そのためには、仕官する前の信長のことを知らなくてはならないし、さまざまな事実の空白を埋めなくてはならない。なにより、本能寺の死の前後の謎を解明し、遺骸の在り処も突きとめなくてはならない。電話もインターネットも新幹線もない時代。「事実」を知るために苦労と工夫を重ねる老文筆家に、いつの間にか感情移入してしまった。
さて、調べていくほどに、自分が事実と思っていたことに別の見方があることがわかってきて、牛一の「信長像」がゆらぎはじめる。気まぐれに無辜の民を虐殺した暴君の姿も見えてきて悩む。事実とは何か、自分はどういう姿勢で事実を探求すればよいのか、事実と想像世界の境界はどう埋めればよいのか。ひとことで言って、物書きとして自分はどう生きるべきかという問いと牛一は直面する。
そんな事情とは別に、牛一は太閤秀吉から信長記を書けと命じられる。言われなくても書いているものであり、報酬は今後の調査費に充てることができるので渡りに舟。秀吉にとって問題のない部分を献上した後、真に書きたい部分を差し込むというトリッキーな戦術を思いつく。ところが、意外にも秀吉が読み合わせを開始し、問題ないはずの部分についてもいちいち朱を入れさせるので大幅な改編を余儀なくされる。ひっかかりそうな箇所は秀吉がうたた寝しているときに早口で読み飛ばしたり、秀吉が喜びそうな箇所は大声で読むなど、牛一は涙ぐましい努力をする。このあたり、今日の著者と出版社のかけひきにも似て面白い。また、当時、書物というものが占めていた文化的・政治的な位置も窺えて興味深い。
もうひとつ、本書の魅力は牛一に仕える忍びの女(といっても書物を密かに書き写すのが仕事)の存在。慎み深いのに(からこそ?)大胆な色気で迫ってきて、中年オヤジ読者はすっかり翻弄されました。そんな楽しませてくれる要素もテンコ盛りです。
牛一が信長から預かった木箱は何だったのか? そこには、信長が何を求めて天下を統一しようとしたかを物語るある物が入れられていた。信長の遺骸が発見されなかったのはなぜか? その理由は秀吉が信長をどう思っていたか、本能寺の変に秀吉がどうからんだか(驚愕でした)に関係がある。ミステリーにネタばらしはご法度ゆえ、これ以上は書けないのが残念。
信長の遺骸の謎、牛一の実存的問い、そして老作家を悩ませた「信長像」。これら3つが同じ地点にあざやかに着地して、さわやかな読後感を残します。
作者は中小企業金融公庫、山一證券に勤めたビジネスマンで、経営書を多く著している。70代も半ばになって書いた小説が日本経済新聞の小説大賞に輝きベストセラーになったことは出版界の話題としてもちろん知っていたが、話題沸騰から2年経って読んで驚いた。ダビンチコードより面白い。
信長の棺
加藤 廣
日本経済新聞社
2005/5/25
定価1,995円
信長の遺骸はなぜ消えたのか? なぜ無防備な本能寺に泊まったのか? 明智光秀はなぜ謀反を起こしたのか? 信長の死後、秀吉はなぜあれほど早く毛利と和睦できたのか? 山陽道を取って返せたのか(中国大返し)? なぜ信長の遺骨がないことを隠して3万もの護衛の下で葬儀を強行したのか?
物語の主人公は、信長に仕えた太田牛一という右筆(文筆の武士)。信長は本能寺に発つ前、牛一に謎の木箱を5つ預ける。牛一は、信長の死後、木箱を守りつつ、信長に仕えていたあいだの克明な日誌をもとに信長の生涯を書物にまとめようと考える(太田牛一『信長公記』人物往来社として刊行されている)。そのためには、仕官する前の信長のことを知らなくてはならないし、さまざまな事実の空白を埋めなくてはならない。なにより、本能寺の死の前後の謎を解明し、遺骸の在り処も突きとめなくてはならない。電話もインターネットも新幹線もない時代。「事実」を知るために苦労と工夫を重ねる老文筆家に、いつの間にか感情移入してしまった。
さて、調べていくほどに、自分が事実と思っていたことに別の見方があることがわかってきて、牛一の「信長像」がゆらぎはじめる。気まぐれに無辜の民を虐殺した暴君の姿も見えてきて悩む。事実とは何か、自分はどういう姿勢で事実を探求すればよいのか、事実と想像世界の境界はどう埋めればよいのか。ひとことで言って、物書きとして自分はどう生きるべきかという問いと牛一は直面する。
そんな事情とは別に、牛一は太閤秀吉から信長記を書けと命じられる。言われなくても書いているものであり、報酬は今後の調査費に充てることができるので渡りに舟。秀吉にとって問題のない部分を献上した後、真に書きたい部分を差し込むというトリッキーな戦術を思いつく。ところが、意外にも秀吉が読み合わせを開始し、問題ないはずの部分についてもいちいち朱を入れさせるので大幅な改編を余儀なくされる。ひっかかりそうな箇所は秀吉がうたた寝しているときに早口で読み飛ばしたり、秀吉が喜びそうな箇所は大声で読むなど、牛一は涙ぐましい努力をする。このあたり、今日の著者と出版社のかけひきにも似て面白い。また、当時、書物というものが占めていた文化的・政治的な位置も窺えて興味深い。
もうひとつ、本書の魅力は牛一に仕える忍びの女(といっても書物を密かに書き写すのが仕事)の存在。慎み深いのに(からこそ?)大胆な色気で迫ってきて、中年オヤジ読者はすっかり翻弄されました。そんな楽しませてくれる要素もテンコ盛りです。
牛一が信長から預かった木箱は何だったのか? そこには、信長が何を求めて天下を統一しようとしたかを物語るある物が入れられていた。信長の遺骸が発見されなかったのはなぜか? その理由は秀吉が信長をどう思っていたか、本能寺の変に秀吉がどうからんだか(驚愕でした)に関係がある。ミステリーにネタばらしはご法度ゆえ、これ以上は書けないのが残念。
信長の遺骸の謎、牛一の実存的問い、そして老作家を悩ませた「信長像」。これら3つが同じ地点にあざやかに着地して、さわやかな読後感を残します。
作者は中小企業金融公庫、山一證券に勤めたビジネスマンで、経営書を多く著している。70代も半ばになって書いた小説が日本経済新聞の小説大賞に輝きベストセラーになったことは出版界の話題としてもちろん知っていたが、話題沸騰から2年経って読んで驚いた。ダビンチコードより面白い。
信長の棺
加藤 廣
日本経済新聞社
2005/5/25
定価1,995円
by booktrain
| 2007-03-10 13:25
| ●小説・物語