2011年 10月 30日
長谷川恒男 虚空の登攀者……人はなぜ山に登るのか |
長谷川恒男 虚空の登攀者
佐瀬稔著
山と渓谷社
1994年7月25日刊
定価:本体1748円+税
野球選手やサッカー選手の評伝なら、競技を始めた理由については、親に教わった、部活に入った、やってみたら面白かった、という程度の記述ですませても許されるのかもしれない。しかし、登山はそうではない。生命の危険を冒してまで、人はなぜ山に登るのか。「そこに山があるからだ」という、いかようにも解釈できる回答は、問いの深さを映し出しているからこそ私たちの記憶に長くとどまっているのではないだろうか。
本書は、長谷川恒男(1947−1991)が山に登り始めた理由を、彼が生まれた時代に求めている。団塊の世代800万人が否応なく放りこまれた過酷な人生のレースというものがあり、そこから落ちこぼれた人々、反逆した人々が向かった先に登山があった、という説明には説得力がある。戦後日本の混沌のなかで山に向かった世代の生態描写は興味深かった(第一章「八百万人の風景」)。
登山家の評伝は、登山を始めた理由だけでなく、登山を続ける理由にも紙幅を割かなくてはならない。本書は、登山家・長谷川の成功や失敗をつぶさにたどっているが、記述の中心は、なぜその年に、その山を、そのコースで登ろうとしたのか、という動機の掘り下げである。その点でも、登山家の評伝は他のジャンルのアスリートス本とは異なる。他の競技なら、自己記録更新をめざすのは当然、オリンピック出場をめざすのは当然であり、従って、動機の説明よりも、いかにパフォーマンスを向上させたかという技術論が中心になるのではないだろうか。
同じ著者による森田勝の本(『狼は帰らず』)に続いて本書を読んだが、読み終わったいま残っているのは、明暗を分けた2人の登山人生のコントラストの余韻ではなく、同じようなコンプレックス、同じようなエゴに縁取られた、動機の描写の濃密さの記憶である。
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野球選手やサッカー選手の評伝なら、競技を始めた理由については、親に教わった、部活に入った、やってみたら面白かった、という程度の記述ですませても許されるのかもしれない。しかし、登山はそうではない。生命の危険を冒してまで、人はなぜ山に登るのか。「そこに山があるからだ」という、いかようにも解釈できる回答は、問いの深さを映し出しているからこそ私たちの記憶に長くとどまっているのではないだろうか。
本書は、長谷川恒男(1947−1991)が山に登り始めた理由を、彼が生まれた時代に求めている。団塊の世代800万人が否応なく放りこまれた過酷な人生のレースというものがあり、そこから落ちこぼれた人々、反逆した人々が向かった先に登山があった、という説明には説得力がある。戦後日本の混沌のなかで山に向かった世代の生態描写は興味深かった(第一章「八百万人の風景」)。
登山家の評伝は、登山を始めた理由だけでなく、登山を続ける理由にも紙幅を割かなくてはならない。本書は、登山家・長谷川の成功や失敗をつぶさにたどっているが、記述の中心は、なぜその年に、その山を、そのコースで登ろうとしたのか、という動機の掘り下げである。その点でも、登山家の評伝は他のジャンルのアスリートス本とは異なる。他の競技なら、自己記録更新をめざすのは当然、オリンピック出場をめざすのは当然であり、従って、動機の説明よりも、いかにパフォーマンスを向上させたかという技術論が中心になるのではないだろうか。
同じ著者による森田勝の本(『狼は帰らず』)に続いて本書を読んだが、読み終わったいま残っているのは、明暗を分けた2人の登山人生のコントラストの余韻ではなく、同じようなコンプレックス、同じようなエゴに縁取られた、動機の描写の濃密さの記憶である。
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by booktrain
| 2011-10-30 23:58
| ●自伝・評伝